うえだきはちろう
1920年8月年生まれ。静岡県出身。陸軍船舶砲兵として太平洋を転戦。「神州丸」「那古丸」「ぶえのすあいれす丸」「昭浦丸」「高島丸」「悠紀丸」「みらん丸」「海龍」など、配属、便乗を合わせた乗船隻数は26隻、被撃沈6回に及ぶ。1944年11月、「金華丸」乗船勤務中マニラで米軍機の空襲を受け右肘関節を失う重症を負うが、辛うじて生還。子供のころから乗り物の絵を描くことが好きで船舶などのスケッチを熱心に取り続けていたが、復員後は塗装業のかたわら、「死んだ戦友たちの思いを描きとどめることが使命」と、本格的に戦時輸送船のイラストを製作する。左腕で思うように描けるようになるまで、必死の訓練は5年に及んだ。1970年からは画業に専念し、艦船、航空機、自動車、風景など幅広いジャンルで作品を発表している。見るものを画面の中に引き込む圧倒的な表現力が、利き腕ではない左手で創り出されている事実にはただただ驚嘆するばかり。艦船模型・ウォーターラインシリーズのボックスアートのほとんどは、上田毅八郎が手掛けたものである。


戦艦大和を描いた男
上田毅八郎伝
(榎戸真弓著)